浮気定義
「じゃっじゃあ私も他の人と付き合ってみても良いんですね!なんて…良いん…です、ね?」
そう言って俺を見上げるあの子は、眼鏡の奥の大きな瞳に涙をいっぱいに溜めていて、いつもニコニコと笑っているあの子しか見た事がない俺は、思わず反応が遅れて…と言うか固まってしまった。
「…!」
何も言わない俺に、乱太郎は更に表情を歪めてそのまま踵を返して走り去ってしまった。
俺は乱太郎の走り去った扉の向こうを茫然と見つめながら、まだ整理のつかない頭を必死に働かそうと頑張る。
(何が何だって?)
とりあえず原因はあいつだ。
あいつが俺の恋人である乱太郎に、くだらない話を吹き込んだのが始まりなのだ。
そう思うと今すぐにあの空っぽ南蛮果実頭をひっぱたいてやりたくなるが、そんな苛々をなんとか納め、俺は事の成り行きをもう一度頭の中で整理することにした。
放課後、誰もいなくなった五年い組の教室で、俺と乱太郎が逢い引きをするのはいつの間にか習慣になっていた。
今日もいつもと同じく、俺が教室で乱太郎を待っていると乱太郎もいつもと同じ時間にやって来た。
「こっこんにちは」
「こんにちは、…ほら、こっちに来いよ」
俺が手招きすると、乱太郎は嬉しそうに俺の隣に座る。
「あ…あの、今日は久々知先輩に質問があって…」
「ん?何?」
「く…久々知先輩は…その、今までに私以外の人とお付き合いした事、やっぱりあります、よね?」
いつもの明るい笑顔とは違う、少しだけ不安そうなその表情に俺はどうしたものかと一瞬考えるが、隠した所で仕方がないので正直に答えた。
「うん、あるよ…突然どうした?」
乱太郎が自分の事に興味を持ってくれたのは嬉しいが、内容が内容だ。
「えと、その…ちょっとタカ丸さんから色々聞いてしまって…」
「…斉藤が何を言ったんだ?」
ポツリと乱太郎が零した名前は、火薬委員会の年上の後輩だった。
「その、久々知先輩は経験豊富そうだから色々安心だね、とか…」
「ふーん」
(あの野郎…そんなこと乱太郎に吹き込みやがって)
あんのバカ丸!と内心で思っていると、乱太郎の方は表情は明るいのだがなんだか元気がない。
「言われて初めて気が付いたんですが…その、確かに久々知先輩みたいな人が今まで誰とも付き合ったことがない訳無いよなぁって」
「そうか?」
俺みたいなのの<みたい>には一体どんな意味が含まれているのだろうかと一瞬考えてしまったが、乱太郎が言うのだから悪い意味ではなさそうだ。
「逆に私は…好きになったのも、お付き合いしたのも久々知先輩が初めてで…」
「…」
(!っ…俺が初恋なのか)
意図せずに聞けた乱太郎の一言に、柄にもなくドキドキとする自身の左胸に少し可笑しくなった。
(反応しすぎだろ、心臓)
「でっでもなんだかそれってズルイな!って思って」
「っ!?…なんで?」
しかしそんな甘酸っぱい幸せにニヤニヤしている場合ではなく、乱太郎は一人どんどん話を進めて行ってしまう。
「だっだって…それじゃあ私ばかりが…」
「乱太郎ばかりが?」
「…なっなんでもないです」
「っ!?」
何やら言いたい事があるようだが、それを言うのは乱太郎の本意では無いらしく、言葉を選んで口ごもると今度はキッと睨まれた。
(!?何故睨む!?)
「こう言うのは対等じゃないと駄目だと思います!」
「!?」
「だっだから私も!久々知先輩以外の人とも付き合ってみたいです!」
言った瞬間、袴をギュッと握り締めた乱太郎は下を向いて口をつぐむ。
(…なんでそうなる?)
そう思いながら、俺はふと昔付き合っていた誰かの言葉を思い出していた。
乱太郎と付き合うまでの俺は、他人にも自分にも特にこれと言った執着が無く、告白されれば誰とでも付き合ってきた。
しかも毎回何故か俺が浮気をされて終わるというおまけ付きだ。
『兵助くんは、本当に私の事好きなの?』
何度となく、例外無く、付き合った女皆に聞かれた。
正直、別に大して好きでも無かったし、興味も無かった。
『貴方は私に興味がないから、私の浮気に気付かなかったのよ』
そして浮気をした女はこれまた皆等しくこの言葉を捨て台詞にした。
何と言うか、こうも綺麗に毎回言われる事とされる事が同じだと、自分と言う人間はこう言う付き合いしか出来ないのだな、と思い始めていた。
不思議なのは俺は浮気をされたことに一度として腹立たしさを感じた事がなく、それを友人達に言ったらまた皆が口を揃えてこう言うのだ。
『お前はまだ人を好きになったことが無いんだよ』
そんな俺が初めて自分で見付けて、好きになって、告白したのが…乱太郎だった。
しばらくそんな事を考えていた無言の俺の反応をどう感じたのか…
乱太郎は冒頭の言葉を叫んで俺の前から走り去ってしまった。
今までだったら、浮気なんて咎める気も起きなくて、とにかく他人なんてどうでもよかった(ただ相手が一緒にいたいと言って来たから勝手にさせていただけだ)。
でも今回は違う。
(…乱太郎が、俺以外の誰かと?)
(そんなの、許せる訳が無い)
俺は顔を上げると、消えた乱太郎の背中を追い掛け走り出した。
「待てっ!乱太郎!こら!」
「嫌ですっ!」
流石は走りに定評のある乱太郎だ。
中々追い付けなかったが、そこは一年と五年の体力の差でなんとか決着を付けた。
「わぁっ!!」
「よっと」
前を走る乱太郎の肩をガシッと掴みそのまま抱きしめて転がる。
傷は付けないよう細心の注意を払って。
「はぁ、はぁ…ぅっ、はっ離しっ!ぅう」
捕まえてもなお泣きながら抵抗する乱太郎に、俺は胸がギュッと締め付けられるのを感じた。
(拒否られんのって…こんなにキツいんだな)
バタバタと腕の中でもがく乱太郎をギューっと力任せにまた抱きしめる。
「ぅ、ぅう…ひっく、ひっ」
「駄目…俺以外の奴の所に行くのは許さない」
自身の口から漏れる言葉が思った以上に低くて驚いた。
「そっそんなのっ!ひっく…ずるいっ!」
「狡くない、乱太郎こそ酷いじゃないか…俺以外を選ぼうとするなんて」
なんだか段々情けない気持ちになってきて、自分のほうが子供の様に、乱太郎に縋り付いて嫌々を繰り返す。
「だっだって私ばかりが、やきもちを…妬いて、…そんなの、嫌です」
ひっくひっくと、鳴咽の合間に乱太郎はおそらく先程教室で言わなかった本音を俺にぶつける。
「…妬い、てたのか?」
え?いつ?と俺がポカンとしながら問い掛ければ、乱太郎はまたキッとらしくなく目尻を吊り上げる。
「妬いてました!久々知先輩の…昔付き合ってた、人のこと…聞いて、私にしてくれるみたいに…頭撫でたのかな、とか…手を繋いだのかな…とか考えたら…」
ぅ、うう…うわーん!とそのまま盛大に乱太郎が泣き出して、俺は乱太郎を抱きしめながらその背を優しくポンポンと叩く。
「だっだから私も他の人とも付き合ってみて…私も同じだと思えばまだ少しだけ、気が治まるかなって…」
(成る程、それであの浮気宣言か)
泣き止まない乱太郎の背を撫でながら、俺はヒシヒシとこの年下の恋人への想いを再確認していた。
(そんなに俺の事好きなのかぁ)
思わずニヤニヤしてしまう。
(本っ当にこの子可愛いなぁ)
更にニヤニヤしてしまう。
(俺も…物っ凄く乱太郎が好きだなぁ)
また思いっきり抱きしめる。
そして俺はいつも思う本音をそっと打ち明ける。
「俺だって妬いてるよ、凄く」
じゃなかったらこんなに取り乱したりしない。
そう言って乱太郎を抱き直しながら俺が笑えば、今度は乱太郎がきょとんとした顔をして俺を見詰める。
「え、なんでですか?」
「ははっ!俺と反応同じじゃん!」
「え?…ぁ」
二人で顔を見合わせると、そのまま声を上げて笑った。
こんなふうに、愛おしくて愛おしくて大好きで堪らないなんて、俺には生まれて初めての感情で。
確かにこんな気持ちを今まで知らなかったのは損をしていた気もするが、俺のこの初めてが乱太郎で良かったと、心の底から思うんだ。
(…ぁあ、絶対浮気なんて有り得ない)
(したら多分相手殺しちゃいそう)
少しだけ物騒な思考に頭の片隅を占領されながら、俺は目一杯の想いを込めて乱太郎に口付けた。
終
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言い訳
澄ました顔してヤキモチ妬きな久々知だったらいいなぁ…!
と思って書き始めて見事に玉砕ですね!←いつものことです。
両思い久々乱は初めてですね!笑
久々知の口調がわかりません!←
現在タカ乱と久々乱のビックウェーブが私を飲み込まんとしています←聞いてない
ここまで読んで下さってありがとうございました!